未題

800字のコラム

村上春樹『風の歌を聴け』

良い小説は、よみたいときいつでも、わたしの手もとにない。すぐひとに渡してしまうからだ。 ひとりめは、靱帯を損傷し入院したある女性のお見舞いにもっていった。まだ彼女と出会ったばかりのわたしは、東京を飛びだして田舎に遁走するよう駆け込んだ、ひと…

水島広子『ダイエット依存症』

摂食障害とは、体型や体重という「形」にとらわれる病気である。こと「形」へのとらわれにかんしていえば、摂食障害になる背景には「ありのままの姿で自分を肯定された経験が乏しい」という問題があり、これにより培われたトラウマによってダイエットという…

生月誠『不安の心理学』

真っ暗で底なしでなんにもなくて、そこに自分の意識が下に下におちていって同化する、意識が浮上しておちて、浮上しておちて、目まぐるしく夢をみて、たまになんにもなくなって、夕方になる。目が覚めてわたしは、自分がいったいなんなのかよくわからなくな…

藤田博史『性倒錯の構造』

男と女とはなにか。そもそも性差にはふたつあると筆者は語る。生物としての性差と、象徴界における性差である。これらの相対的な関係を明らかにするためには、男性、女性は互いをその欲望の対象として選択するという対称性にもかかわらず、子は必ず、母とい…

立川談春『赤めだか』

冒頭からなみだがあふれてとまらなかった。わたしは枕に顔をうずめながら、ほんとうに変わる気があるのかと何度も何度も問うた。 「落語は人間の業の肯定だ」 人間って極限まで追い詰められたら他人のせいにしてでも云い訳しちゃうもんなんだ。 “聴く者の胸…

山岸明子『心理学で文学を読む』

ものがたりの展開を自分の意思で定めることはむずかしい。ひとが夢をみるときその結末を都合よく改変するのが困難なように、でてきてしまう描写について、我々はそれを書き留めることしかできない。 “優れた文学作品は人間性や人間の心理についての深い洞察…

土居健郎『「甘え」の構造』

「甘え」とは日本人の心性の特徴であり、現代の社会不安を理解するために有力な観点を提供する鍵となる概念である。「甘え」はそれ自体が病的心理の基礎にある悪ではなく、「甘え」が何らかの理由により否認され、あるいは意識下に抑圧された場合に害をなす…

岡田尊司『あなたの中の異常心理』

だれもが異常心理を抱えている。人間は、二面性を抱えた生きものなのである。 “身近でみられる心理状態で、正常心理としても認められ、また、極めつけの異常心理にも通じるのが、完璧主義や潔癖症といった完全性や秩序に対する強迫的なこだわりである。” 完…

グレン・ネイプ『ぬいぐるみさんとの暮らし方』

『ぬいぐるみとの暮らし方』ではない。『ぬいぐるみさんとの暮らし方』である。 “この本のように、あまり「普通」ではない本は、必ずやいろんな議論を引き起こすことになると思います。読者の多くは、果たしてわたしが本気なのか、この本の内容が事実なのか…

河合隼雄『こころの処方箋』

人間はたったひとりで生きることはできない。しかし「自立」ということは、長いあいだひとびとのこころを惹きつける標語として、その地位を保ちつづけているようである。 “自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって…

四方田犬彦『先生とわたし』

師とは脆いものである。四方田犬彦は師の死後、ようやくそれを理解したのである。 “由良君美はひどく立腹したらしく、電話口で何やら性的な話をしだした。酔っぱらっている上に国際電話なので、言葉の半分も聞き取れなかった。「先生、何をいっているのかわ…

福田和也『病気と日本文学』

“芥川は分裂病だったと言ったところで、何も彼らの真実に触れたことにはならない。” 自殺の問題は芥川に限らず、近代日本文学を語るうえで避けてとおれないテーマである。たとえば、イギリスは相続。フランスは借金。ロシアは信仰。ドイツは山。アメリカは幽…

福田和也『作家の値うち』

わたしは、批評が苦手だ。なぜかといえば、批評には相手の弱点を突く、という行為が必要不可欠だからだ。学生時代、「批評とは自らを棚に上げ、相手の矛盾を鋭く述べることである」という見解を記憶に残して以降、なんとなく、なにかを批評することの抵抗感…

『マネー・ショート』

いたい!とこころがぐじぐじ叫ぶ。まわりは笑っている、わたしはとても笑えない。現実を遠くへ追いやるほど、すべての悲劇は喜劇へと転じる。まさにそれだ、みんな、ジョークだとおもっているんだ。 真実を知りたい。奇麗な薔薇には棘があるよう、ひょっとし…

長嶋有『サイドカーに犬』

小4の夏休みが母の家出で幕を開けてから、突如我が家にやってきたのは「ようこ」と名乗る謎のおねえさんだった。ふつう、自己紹介をするときには名字を名乗るとおもっていたので、わたしはいきなり「ようこ」といわれ、衝撃を受けた。 “洋子さんが現れたのは…

福田和也『贅沢入門』

ついに閉ざされた過去と向き合うときがきた。記憶の彼方に残る彼の面影は朧気で、ほとんどその輪郭をとらえることはできない。 “若い人、とくに学生諸君などと話していて、よく子供のことを聞かれます。それも、わりと率直に「子供を産んで、何かいいことが…

『レ・ミゼラブル』

警部は死んだ。彼の揺るぎない信念はさらなる抱擁に打ち砕かれ、死んだ。こころが死んだのだ。こころが死ねば人間は、容易に死ぬことができる。彼は引き金を引かなかった。否、引けなかった。最期に引き金を引くのは人間の身体ではなく、そのこころだ。彼は…

『モテキ』

はじめはともだちのみゆきに誘われ、軽いきもちでついていった。きけば、ツイッターで知り合った幸世くんというおとこのこと、その会社のひとたちとの飲み会に参入するらしい。どうやら彼らはいまどきのIT企業で、ロックフェスなどの運営や、それにかかわる…

『中学生円山』

おとこのこの妄想に限界はないのでしょうか。わたしの両親がまだ付き合いはじめたばかりのころ、こんなやりとりがあったそうです。「なぜそんな体勢でテレビを見ているの?」「こうすれば、おねえさんのパンツを拝めるかもしれないだろう!」そこには、テレ…

『ルームメイト』

自分だけの妖精さんをつくりだしてしまうのは、実はよくあることかもしれない。それをべつの人物にまで昇華させるのはよっぽどの場合にしろ、どんな人間でも大なり小なり、べつの人格をひとつの器に生成するのは、よくあることだろう。もうひとりの自分。身…

『間宮兄弟』

人間は居心地の良いところにいたがるものだ。仲良しすぎる間宮兄弟は、穏やかな日々を享受していた。日常というのは、ささやかなものだ。そして兄弟は、お互いの日常をあたりまえのように共有している。まるで長年寄り添った恋人同士のように、ふたりの関係…

村上春樹『職業としての小説家』

“小説家はある種の魚と同じです。水中で常に前に向かって移動していかなければ、死んでしまいます” わたしはつねづね、自分がなぜいまもこうしてパソコンに向かい、飽きもせず文章を生産しつづけるのか疑問におもうことがある。大学三年の秋、毎日毎日ばかみ…

『わたしを離さないで』

まったく、不思議な重みだ。これはたとえば、今後一週間、わたしの心に纏わりつき、どんよりとした気配を残してゆく類いのものとはちがう。むしろどこかやさしさを、悟りのようなものを与えてくれる。キャシーも、トミーも、ルースも、みんな死んでしまうの…

吉本ばなな『アムリタ』

徹夜明けの身体を引きずりだして、玄関の扉に手をかけた。――重い。外に出ると、まっすぐ眼球に突き刺さる太陽のひかりが痛い。「それでも、この衝動をおさえこんではいけない」。そう、おもった。 階段をずるずるとおりて、雑多に並べられた自転車の山から自…

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』

どこからかクラシックがきこえてくる。ページを捲る手がなにかの流れに乗っている。でもこれは音楽に、乗っているんじゃない。捲ってから、音がきこえてくるからだ。物語の曲線に誘われている。メロディーはそれにつづく。ページを捲る手が徐々に加速する。…

末次由紀『ちはやふる』

大学二年生、三月。 労働において、身体的労力などたいした問題じゃない。速報原稿をスタジオに突っ込んだり、テープ編集のため階段を何度も駆けあがったり、おりたり。そのせいで汗まみれになっても、足にマメができても、そういうことはとくだん、気にもな…

浅野いにお『おやすみプンプン』

ベーコンマヨロールが急にたべたくなった。ほんとうに急だった。セブンイレブンに電気代を支払いにいったとき、ちょうど目についたのがきっかけだ。ふだん滅多に買うことのないそれに、わたしは熱烈に惹かれていた。 ほんとうは、家にうなぎがあった。ここ何…

古舘春一『ハイキュー!!』

王道らしい王道漫画では、ない。というのも、悪役らしい悪役がこの物語に存在しないからだ。ほかのスポーツ漫画によく登場する、反則によって相手選手を貶めるような邪悪なキャラクターはいない。それぞれがそれぞれの人生を精いっぱい生きている。だから、…

羽海野チカ『3月のライオン』

“「自分の大きさ」が解ったら「何をしたらいいか」がやっと解る。自分の事が解ってくれば「やりたい事」もだんだんぼんやり見えてくる。そうすれば…今のその「ものすごい不安」からだけは抜け出ることができるよ。” いま、どのあたりにいるのだろう。前作、…

ハロルド作石『RiN』

漫画喫茶のトイレの扉は妙に近くて、芳香剤の独特のにおいが鼻についた。あまりにも惨めなきもちにうなだれるよう、無為に便座にとどまっては背中をまるめる。書きたい、書きたい。衝動が襲ってくる。書きたい、書きたい。何度そうおもったか知れない。 しか…