未題

800字のコラム

『間宮兄弟』

 人間は居心地の良いところにいたがるものだ。仲良しすぎる間宮兄弟は、穏やかな日々を享受していた。日常というのは、ささやかなものだ。そして兄弟は、お互いの日常をあたりまえのように共有している。まるで長年寄り添った恋人同士のように、ふたりの関係はまあるくおさまっていた。
 もとから、他者の介在する隙などなかったのだ。兄、弟はそれぞれに恋をし、ときに哀れなほど傷つけられる。けれどそばには必ず兄が、そして弟がいる。これほど幸せなことがあるだろうか。兄はぽつりとこぼす。「こんなときに連絡できる相手がいるというのは、よいものだなあ」

 人間がなにかを得るためには、なにかを失わなければならない。一見身構えてしまうこの一文は、真理をついているとおもう。きっと間宮兄弟が恋人を得るためには、お互いが一旦、離れなければならないのだろう。しかし、だからといっていま、彼らがむりに離れる必要があるのだろうか。
 ――ないのだ。それは不自然におこすものではない。間宮兄弟がいつか、どちらかがどちらか以上に大切な存在をみつければ自ずと、そのときは訪れる。結局、お互いにふられ、お互いの場所にもどってきたふたり。それはとくだん、かなしむことなんかじゃない。帰る場所があるというのは、それだけで良いものだ。
 原作が江國香織にして、独特の重さがない。兄弟は彼らにしかわからない「遊び」をし、こどものように無邪気に笑う。わたしにも妹がいるので、その「遊び」がよくわかる。客観的にみれば気色わるいとすら感じるやりとりは、ある一定の距離感をこえたふたりにとっては、あたりまえのことなのだ。