未題

800字のコラム

『中学生円山』

 おとこのこの妄想に限界はないのでしょうか。わたしの両親がまだ付き合いはじめたばかりのころ、こんなやりとりがあったそうです。「なぜそんな体勢でテレビを見ているの?」「こうすれば、おねえさんのパンツを拝めるかもしれないだろう!」そこには、テレビ画面を一生懸命下から覗きこむ父の姿がありました――この話をきいて、わたしはこうおもったのです。男って、ばかね。
 では、今回の円山くんはどうでしょうか。そう、みなさんご察しのとおり、ばかです。彼が毎日欠かさず自主トレを実行するのも、わざわざレスリング部に入部したのも、すべては彼のくだらない妄想の産物を現実にするための布石だったのです。え?それはどんな妄想なのか?勘弁してください。私の口からはとてもいえません。ですが、ヒントをお教えしましょう。この妄想には、男であればだれもが一度は挑戦するそうです。その証拠に、忘れたころに2ちゃんねるでは必ず、この手のスレが立っています。
 こんな映画なので、メッセージ性を探ろうとするのはやめましょう。途中で疲れてしまいます。ただ目のまえで繰り広げられる喜劇に身を委ねていればよいのです。心配しなくても、一時世間を騒がせた草なぎ剛さんが、私たちのこころに突き刺さることばを思いっきりぶん投げてくれます。「ありえないなんて君たちの思考を停止させるためにつくった大人たちのキーワードだ」「考えない大人になるくらいなら、死ぬまで中学生でいるべきだ!」
 一見中学生の妄想がとっ散らかったような作品ですが、そこには監督である宮藤官九郎さんの巧妙な演出が垣間みえます。カメラアングルひとつを取っても、まるで自分が映画のなかの光景を目の当たりにしているような錯覚に陥るのです。そうしてクドカンワールドに導かれた観客は、自分でも意識しないままに、ある世のなかの真理を感じ取ることになるでしょう。さて、おとこのこの妄想に、限界などあるのでしょうか。