未題

800字のコラム

四方田犬彦『先生とわたし』

 師とは脆いものである。四方田犬彦は師の死後、ようやくそれを理解したのである。

 “由良君美はひどく立腹したらしく、電話口で何やら性的な話をしだした。酔っぱらっている上に国際電話なので、言葉の半分も聞き取れなかった。「先生、何をいっているのかわかりません。もう少し落ち着いてください」と、わたし。すると彼は「わかった。もうきみには一生、何も頼まない!」といい放って暴力的に電話を切った。”

 師の不可解な言動を理解できず、彼らはそのまま疎遠となった。四方田犬彦が師の隠された焦燥や嫉妬に目を向けはじめたのは、彼が由良君美について書こうと思い立ち、彼を知る少なからぬ人たちのもとを訪れてからのことである。

 “最初、わたしはこうした反応に当惑を感じていた。由良君美がわたしにそのような卑小な感情を抱くわけがないと、固く信じていたためである。”

 しかし執筆しているうちに、彼は師弟関係について自分なりに真剣に直面しなければならないというきもちになっていった。そして、とりわけ山折とスタイナーの師弟論を通過しその葛藤と背信の物語を知ったことで、自らがあまりにも師を仰ぎ見ることに懸命であったと気づく。自分は当時の彼の心情を蔑ろにしていたのではないか。

 “わたしが今後悔しているのは、若年だったわたしが、由良君美の人間的な弱さを忖度し、それに共感を向けることができなかったという事実である。わたしは自分が突入してゆく知の世界の驚異と輝きに心を奪われていて、身近にあってわたしを眺めていた他者の心中を慮ることに、まったく無関心であったのだ。”

 師の死後、学生時代に何度もくぐった家の門の先で待つ夫人はいった。
 「由良は本当に、絹のように繊細な心をもった人間でした」

 “わたしは自分が由良君由を裏切ったことなどないと信じてきたが、彼はわたしに裏切られたという気持ちを強く抱いていた。”
 果たして師弟の存続とは。良好な関係とは。