未題

800字のコラム

『レ・ミゼラブル』

 警部は死んだ。彼の揺るぎない信念はさらなる抱擁に打ち砕かれ、死んだ。こころが死んだのだ。こころが死ねば人間は、容易に死ぬことができる。彼は引き金を引かなかった。否、引けなかった。最期に引き金を引くのは人間の身体ではなく、そのこころだ。彼は殺された。彼自身に殺された。
 たえきれず、リモコンへと手をのばした。彼が沈んでゆく姿をみながら、わたしはどうすればよいのかよくわからなくなった。ふと目に入ったのは、先ほど日向夏を剥いたときにつかった包丁。わたしはおもわず手をのばした。一瞬、浮かんだのだ。わたしがわたし自身の腕を切り落とす未来。

 ――恐怖。得たいの知れない闇がわたしのこころを呑み込んでしまう気がした。急いで包丁を持ち、台所へ向かった。流し場へとそれを置くとすぐ、テレビのまえまで戻ってくる。つづきはまだみていない。きっとまだ直視できない。スマホを確認すると時刻は0:00を示していた。また、ゾロ目だ。
 突然、外に出たい衝動に駆られた。世界との接触を断てば、わたしは容易にその命を手放してしまう。わたしはまだ、わたし自身を野放しにすることはできない。けれどもなにかが、わたしをこの場へと繋ぎ止めた。パソコンから、ニコニコ動画時報が流れてくる。すこしだけ、意識がこちらに戻ってくる。
 書こう。今のわたしには、それしか手段がなかった。わたしの心はまだ死んではいない。表現だけはいつでも、わたしを見捨てなかった。だから、書こう。表現することさえできれば、わたしはこれからも命を繋いでゆくことができる。
 この隔離された空間のなかで、わたしはもうしばらく時間をすごさなければならない。しかしそれは、絶望ではない。生きさえすれば、その向こうに希望を見出すことができるはずだ。一時の絶望に、惑わされるな。わたしにはみえる。光がみえる。わたしは信じている。あすは来る。