未題

800字のコラム

山岸明子『心理学で文学を読む』

 ものがたりの展開を自分の意思で定めることはむずかしい。ひとが夢をみるときその結末を都合よく改変するのが困難なように、でてきてしまう描写について、我々はそれを書き留めることしかできない。
 “優れた文学作品は人間性や人間の心理についての深い洞察に満ちており、そのことが読者を惹きつけ、読みつがれる大きな要因になっていると考えられる。小説はフィクションであるし、作家は学者ではないが、心理学とは異なった形での人間性理解のエキスパートによって書かれていると思われる。”
 「何が人を立ち直らせるのか」ということにかんして、本書では村上春樹海辺のカフカ』、山田洋次『学校Ⅱ』、小川洋子『博士の愛した数学』と湯本香樹実『夏の庭』、デイヴ・ペルザー『“It”(それ)と呼ばれた子』を取り上げ、文学作品では多く描かれる、つらい経験をしてきた者の回復を、発達心理学の用語や理論を用いて読み解いてゆく。

 わたしは今回、これらのどの作品についても未読であったが、しかしあらすじも含め丁寧にかかれた解説をよんでおもわず、なみだすることもあった。人間によって深い傷を負ったはずの人間が、人間によってその傷を癒していく――矛盾した姿にどうしてもこころ打たれてしまうのである。
 また時折、本書では心理学の観点ならではのおもしろい考察も垣間みえる。
 “佐伯さんとの交流による立ち直りに関しては、性的な交流ではなく、母親であることを明かして過去を語ることが重要であるように思われる。”
 “本作品では年齢や置かれている状況は成人期であっても、心理学的にはまだ青年期にとどまっていて、他者へのケアでなく、自分が自分であるためにどうするかの観点しかない大人が目立つ。”
 小説家にとっては、かくも冷静に作品を分析されるのは少々恥ずかしいところがあるかもしれないが、しかし読者として、どうしても書き手の側に立ってしまう人間には、メタ認知メタ認知するのは興味深いといえるだろう。