未題

800字のコラム

村上春樹『風の歌を聴け』

 良い小説は、よみたいときいつでも、わたしの手もとにない。すぐひとに渡してしまうからだ。

 ひとりめは、靱帯を損傷し入院したある女性のお見舞いにもっていった。まだ彼女と出会ったばかりのわたしは、東京を飛びだして田舎に遁走するよう駆け込んだ、ひとりぼっちの人間だった。だれも知らない土地でひとり人生をやりなおすというのは、わたしにとって東京の、あの、痛みにまみれた土地の景色を霞ませるために必要だったものの、しかし、実際のところなんの後ろ盾もないふあんから、必死に、温もりに手をのばしていたことは事実だった。
 彼女は、わたしがお見舞いにいくというとすこしぎょっとした表情をみせ、その距離感に戸惑っているようにもみえたが、わたしは長めの手紙を添え彼女にその本を手渡したのち、すこしだけ会話をしてから、早々に立ち去ることにした。彼女との縁はそこで途絶え、わたしはまた、ひとりぼっちになった。
 ふたりめは、仕事で毎度顔を合わせるおねえさんだった。彼女におすすめの本を尋ねると、ある一冊の本を渡され、わたしは、そのお礼としてこの本を手渡すことにした。そんなこともすっかり忘れたころ、ふとよみたくなったこの本が、本棚の二段めの右端に存在しないことに驚いて、おもわず本屋に走り手に入れたのち、そういえばふた月ほどまえ、彼女に託したのだということを思い出したのだった。

 “僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。”
 あれから三年以上経った。いまはすこしだけ慣れ親しんだ田舎の景色が、わたしのこころに新しい風を吹かせている。ときたま思い出す東京の、六義園の、塀の外側をぐるぐるまわっていたころの、苦い記憶にすこしだけ上塗りされた景色がある。それは、田舎で出会ったひととの追憶から紡ぎ出される美しい心象風景が、痛みにすこしだけ、彩を添えてくれたからだ。

 風は歌っているだろうか。わたしにも、聴ける日がくるだろうか。