村上春樹『職業としての小説家』
“小説家はある種の魚と同じです。水中で常に前に向かって移動していかなければ、死んでしまいます”
わたしはつねづね、自分がなぜいまもこうしてパソコンに向かい、飽きもせず文章を生産しつづけるのか疑問におもうことがある。大学三年の秋、毎日毎日ばかみたいに筆を塗りたくっては、その魅惑に取り憑かれるよう文字に溺れていた。そうしていないと、自分が自分ではなくなってしまう感覚に陥るのだ。
だから、強くおもう。
“真の作家にとっては文学賞なんかより大事なものがいくつもある”
村上春樹にとって、それは読者だった。
“どのような文学賞も、勲章も、好意的な書評も、僕の本を身銭を切って買ってくれる読者に比べれば、実質的な意味を持ちません”
おもえば苦しいとき、そこには必ず読者の存在があった。あるときは親友だった。あるときは先輩だった。あるときは顔を合わせたこともないだれかだった。彼らが見守ってくれていたおかげで、わたしはここまで生き延びてこられたのだ。
“しかし世間の人々は多くの場合、具体的なかたちになったものにしか目を向けないということも、また真実です”
ここにはどうしても、オリジナリティーの問題が含まれる。
“何がオリジナルで、何がオリジナルではないか、その判断は、作品を受け取る人々=読者と、「然るべく経過された時間」との共同作業に一任するしかありません”
同時に、オリジナリティーだけでは立ち行かない。
“正気を失っている人間にとって、正気の人間の意見はおおむね大事なものです”
何度も戻ってこなければならないのだ。
“あなたが世間を無視しようとすれば、おそらく世間もあなたと同じようにあなたを無視するでしょう”
そのために必要なのが「定点」の存在であり、わたしの場合、陰ながら見守ってくれているあなたのことなのだ。ほんとうに、いつもありがとう。