未題

800字のコラム

河合隼雄『こころの処方箋』

 人間はたったひとりで生きることはできない。しかし「自立」ということは、長いあいだひとびとのこころを惹きつける標語として、その地位を保ちつづけているようである。

 “自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれてでてくるものである。”

 たとえば、思春期のこどもが親に反抗できるのは、自らを棚にあげられるほど相手に依存している証拠である。養ってもらっていることに遠慮し自らを分相応の奴隷として扱えば決して反抗することなどできないのである。

 “子どもを甘やかすと、自立しなくなる、と思う人がある。確かに、子どもを甘やかすうちに、親の方がそこから離れられないと、子どもの自立を妨げることになる。このようなときは、実は親の自立ができていないので、甘えること、甘やかすことに対する免疫が十分にできていないのである。親が自立的であり、子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に味わった後は、勝手に自立してくれるものである。”

 こどもは自分の役割を考えるものである。親がいつまでもかわいいこどものままであってほしいと願えば、それを叶えようとするものである。目を薄めてでも芽生える自立心を排除し、親にとっていかに都合のよい存在になりうるか必死に模索するのである。

 “自立と言っても、それは依存のないことを意味しない。そもそも人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないのだ。自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。”

 依存を排する孤立でなく依存を裏打ちとして自立することについて、あるいは依存のなかに両者とも溺れこむことがない自立について、塩梅が必要なのである。