未題

800字のコラム

土居健郎『「甘え」の構造』

 「甘え」とは日本人の心性の特徴であり、現代の社会不安を理解するために有力な観点を提供する鍵となる概念である。「甘え」はそれ自体が病的心理の基礎にある悪ではなく、「甘え」が何らかの理由により否認され、あるいは意識下に抑圧された場合に害をなす存在であることを筆者は主張している。
 では彼がなぜ甘えということを問題にするようになったかといえば、渡米により自分自身の考え方や感じ方の異りを折にふれ感ずるようになったからである。たとえば、“Please help yourself.”という、日本人にとって客をもてなすにはあまりにおもいやりのない挨拶に、その一端をとらえることができる。しかし、彼は同時に、アメリカには「甘え」という概念それ自体がないわけではなく、むしろ普遍性があるのだと語る。それこそフロイドの同一化であり、対象との感情的結びつきの原初的形態である。
 ひとは本質的に何らかの集団生活を営まなければ、生きることすら覚束ない生きものである。とりわけ日本人は集団主義的といわれるが、実際のところ精神障害をわずらう欧米人だって、日本人の場合と同じく、集団生活に敗れた結果であるということができる。
 つまりひとは、「甘え」という名の同一化を果たせなかった場合、病的心理に陥るのである。そう考えると、親が子を甘やかすと、子は甘えた風を見せても、本当には親に甘えられなくなるという、一見するとわかりにくい状態を説明することができる。甘やかす者は相手と同一化しているのである。いいかえれば甘やかす者は相手の同一化を先取りしていると考えられる。だから相手は甘やかす者には同一化できなくなり、したがって甘えられなくなってしまうのである。
 冒頭にもいったように「甘え」それ自体に罪はない。むしろそれは本来無邪気なものであり、人間を結びあわせるために必要欠くべからざるものだと筆者は語る。そういわれると、わたしもじょうずに甘えたいと救われるおもいがする。