未題

800字のコラム

『わたしを離さないで』

 まったく、不思議な重みだ。これはたとえば、今後一週間、わたしの心に纏わりつき、どんよりとした気配を残してゆく類いのものとはちがう。むしろどこかやさしさを、悟りのようなものを与えてくれる。キャシーも、トミーも、ルースも、みんな死んでしまうのに。きっと、しまう、という感じがしないからだとおもう。

 「知っているでしょう?覚悟しているとその通りになる」

 看護師からキャシーにかけられた何気ないひと言。そのことば通り、覚悟を決めたルースは三度めの臓器提供手術で、息を引き取ることになる。けれど、それはいったい哀しいことだろうか。わたしには、ルースは全うしたように思えるのだ、人生を。
 最初から、ほかの人間に臓器提供をするためだけに生まれついた命。行き先は決まっている。だから「自由」はありません、と外部の人間はいう。しかし、果たしてほんとうにそうだろうか。たしかにわたしたちは、臓器提供を義務づけられているわけではない。しかし人間は、生きている限り皆、「不自由」ではないだろうか。

 「ではおまえは、死は怖くないのか?」

 そう問われれば、こわい。現段階で余命を宣告されれば、トミーのように癇癪をおこすだろうし、唯一の希望だった「猶予」がはなっからないものだったと知らされたとき、平常心ではいられないだろう。すくなくとも、こんなに悠長なことはいっていられないはずだ。
 だから、きっと叫びたくなる。「わたしを離さないで」。ここにわたしは、生きる、ということの美しさを感じる。儚さを感じる。生の意味など、元からないのかもしれない。けれどそのなかで、醜くも命を繋ぎ止めようともがく。もっとも「不自由」なはずの生へ、しがみつこうとする。

 人間は矛盾している。しかし、それが良い。そう考えると、不思議と心がおちついてくるのだ。どんなことも出来得る限り受け入れて、すこしずつ生を紡いでゆこう。そういうふうに、前向きになれる気がする。それはたぶん、わたしたちがほんとうの意味で不自由ではないからだろう。わたしたちはいつでも、自由なのだ。