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800字のコラム

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『間宮兄弟』

人間は居心地の良いところにいたがるものだ。仲良しすぎる間宮兄弟は、穏やかな日々を享受していた。日常というのは、ささやかなものだ。そして兄弟は、お互いの日常をあたりまえのように共有している。まるで長年寄り添った恋人同士のように、ふたりの関係…

村上春樹『職業としての小説家』

“小説家はある種の魚と同じです。水中で常に前に向かって移動していかなければ、死んでしまいます” わたしはつねづね、自分がなぜいまもこうしてパソコンに向かい、飽きもせず文章を生産しつづけるのか疑問におもうことがある。大学三年の秋、毎日毎日ばかみ…

『わたしを離さないで』

まったく、不思議な重みだ。これはたとえば、今後一週間、わたしの心に纏わりつき、どんよりとした気配を残してゆく類いのものとはちがう。むしろどこかやさしさを、悟りのようなものを与えてくれる。キャシーも、トミーも、ルースも、みんな死んでしまうの…

吉本ばなな『アムリタ』

徹夜明けの身体を引きずりだして、玄関の扉に手をかけた。――重い。外に出ると、まっすぐ眼球に突き刺さる太陽のひかりが痛い。「それでも、この衝動をおさえこんではいけない」。そう、おもった。 階段をずるずるとおりて、雑多に並べられた自転車の山から自…

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』

どこからかクラシックがきこえてくる。ページを捲る手がなにかの流れに乗っている。でもこれは音楽に、乗っているんじゃない。捲ってから、音がきこえてくるからだ。物語の曲線に誘われている。メロディーはそれにつづく。ページを捲る手が徐々に加速する。…

末次由紀『ちはやふる』

大学二年生、三月。 労働において、身体的労力などたいした問題じゃない。速報原稿をスタジオに突っ込んだり、テープ編集のため階段を何度も駆けあがったり、おりたり。そのせいで汗まみれになっても、足にマメができても、そういうことはとくだん、気にもな…

浅野いにお『おやすみプンプン』

ベーコンマヨロールが急にたべたくなった。ほんとうに急だった。セブンイレブンに電気代を支払いにいったとき、ちょうど目についたのがきっかけだ。ふだん滅多に買うことのないそれに、わたしは熱烈に惹かれていた。 ほんとうは、家にうなぎがあった。ここ何…

古舘春一『ハイキュー!!』

王道らしい王道漫画では、ない。というのも、悪役らしい悪役がこの物語に存在しないからだ。ほかのスポーツ漫画によく登場する、反則によって相手選手を貶めるような邪悪なキャラクターはいない。それぞれがそれぞれの人生を精いっぱい生きている。だから、…

羽海野チカ『3月のライオン』

“「自分の大きさ」が解ったら「何をしたらいいか」がやっと解る。自分の事が解ってくれば「やりたい事」もだんだんぼんやり見えてくる。そうすれば…今のその「ものすごい不安」からだけは抜け出ることができるよ。” いま、どのあたりにいるのだろう。前作、…

ハロルド作石『RiN』

漫画喫茶のトイレの扉は妙に近くて、芳香剤の独特のにおいが鼻についた。あまりにも惨めなきもちにうなだれるよう、無為に便座にとどまっては背中をまるめる。書きたい、書きたい。衝動が襲ってくる。書きたい、書きたい。何度そうおもったか知れない。 しか…

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

“ある時期、ある年代のときは、毎日本当にまじめに走らなければいけない。……走り込むべき年代は人それぞれ違うけど、「今は走らなくちゃ」とはっきり決意するときがあるはず。そういうときは無理しても走らないといけない” 年明けの決意は忘れていない。はじ…

綿矢りさ『インストール』

聖璽、という名はおぼえていた。本を買ったのはたしか中学一年生のころだったから、青春を存分に謳歌していた時期だ。そういう人間にとって、対照的なこの鬱屈とした世界はまるで、別次元のおはなしとして目に映る。だから当時、おもしろいという感想は、と…

吉本ばなな『白河夜船』

ひとりぼっちの空間にいると、だんだん、自分とまわりとのあいだにみえない壁ができるようになる。大学受験の夏、わたしはなんだかすべてがいやになってしまったので、おうちからちっとも、出なくなった。まるでこの本の寺子のように、ねむっては起き、ねむ…

村上春樹『風の歌を聴け』

「君は君自身を太宰治と並べるなんてどうかしている。彼はたしかに偉大な小説を書き、この世に残した。しかし、君はどうだい。何ひとつ残してさえいないじゃないか!」 幼いころは夢ばかりみていた。世界はいつでも眩いひかりに包まれていて、わたしは自由に…

綿矢りさ『蹴りたい背中』

そうか。「さびしさは鳴る」のか、と。たしかにそうだったかもしれない。クラスのなかで孤立する、というのは。けれどわたしは、あのころのわたしは、そんなにもまっすぐ、現実を感じとることができていただろうか。いつでもかき消していたようにおもう。た…

吉本ばなな『体は全部知っている』

この器が邪魔だ、とおもうことがある。きもちがどれだけ急いていても、身体はちっとも動いてくれない。頭痛、腹痛、しまいには発熱など、あらゆる手段を用いて、身体はわたしの活動を阻害する。気力で対抗しようとすると、今度は魂を器の外に押し出そうとし…

武者小路実篤『愛と死』

“無責任な他人のいうことを一々気にしていたら、人間は落ちついて生きてゆけない。自分をいつわって生きてゆくのには、世間や他人を信用していない。” 惹きこまれる。ただ、はなしを黙ってきいてあげたい。ここまで声高らかに宣言するに至るまで、彼はどれほ…

岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

淡々としている、という表現がいちばんしっくり来る。要点だけをおさえ、物語の展開を読者が理解できる程度に、説明がなされている。いかにもラノベっぽい表紙ではありながら、それにしてはあまりに平坦な文章なので、そのギャップに驚く読者もすくなくない…

川上弘美『センセイの鞄』

ていねいになでつけた白髪、折り目正しいワイシャツ、灰色のチョッキ。高校時代に国語をおそわったけれど、さして熱心に授業をきいたわけではない。「先生」でも、「せんせい」でもなく、センセイ。それは数ねんまえ、たまたま駅まえの飲み屋でとなりあわせ…

村上龍vs村上春樹『ウォーク・ドント・ラン』

いつからかこう考えるようになった。“がんばらないわたしはわたしであってはならない。がんばることだけにわたしの価値があるのだ。”いまおもえばとても極端な発想だけれど、わたしは大真面目に、この原則に従い生きてきた。 わたしのなかのがんばる、とは、…

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』

ゆあーんゆよーんゆやゆよん。ぶらんこのようにゆらゆら揺れる、あっちの世界と、こっちの世界。きょうはふらり境界線に足をかけ、誘われるよう視線をおとした。いしいしんじ。ひらがなが、とても美しい。 なんとなく手に取り、本を開く。漢字ほどぎゅうぎゅ…

江國香織『落下する夕方』

わたしにはみえなかった。だって、あなたが身体をぐるぐると鎖で縛られ、何十キロもある足かせを引きずりながら歩いている姿なんて、想像もできなかったんだもの。 むしろ、いつでも自由にみえた。あなたは、働かない。外出だって、ほとんどしない。ふだんは…