未題

800字のコラム

小説

村上春樹『風の歌を聴け』

良い小説は、よみたいときいつでも、わたしの手もとにない。すぐひとに渡してしまうからだ。 ひとりめは、靱帯を損傷し入院したある女性のお見舞いにもっていった。まだ彼女と出会ったばかりのわたしは、東京を飛びだして田舎に遁走するよう駆け込んだ、ひと…

長嶋有『サイドカーに犬』

小4の夏休みが母の家出で幕を開けてから、突如我が家にやってきたのは「ようこ」と名乗る謎のおねえさんだった。ふつう、自己紹介をするときには名字を名乗るとおもっていたので、わたしはいきなり「ようこ」といわれ、衝撃を受けた。 “洋子さんが現れたのは…

吉本ばなな『アムリタ』

徹夜明けの身体を引きずりだして、玄関の扉に手をかけた。――重い。外に出ると、まっすぐ眼球に突き刺さる太陽のひかりが痛い。「それでも、この衝動をおさえこんではいけない」。そう、おもった。 階段をずるずるとおりて、雑多に並べられた自転車の山から自…

綿矢りさ『インストール』

聖璽、という名はおぼえていた。本を買ったのはたしか中学一年生のころだったから、青春を存分に謳歌していた時期だ。そういう人間にとって、対照的なこの鬱屈とした世界はまるで、別次元のおはなしとして目に映る。だから当時、おもしろいという感想は、と…

吉本ばなな『白河夜船』

ひとりぼっちの空間にいると、だんだん、自分とまわりとのあいだにみえない壁ができるようになる。大学受験の夏、わたしはなんだかすべてがいやになってしまったので、おうちからちっとも、出なくなった。まるでこの本の寺子のように、ねむっては起き、ねむ…

村上春樹『風の歌を聴け』

「君は君自身を太宰治と並べるなんてどうかしている。彼はたしかに偉大な小説を書き、この世に残した。しかし、君はどうだい。何ひとつ残してさえいないじゃないか!」 幼いころは夢ばかりみていた。世界はいつでも眩いひかりに包まれていて、わたしは自由に…

綿矢りさ『蹴りたい背中』

そうか。「さびしさは鳴る」のか、と。たしかにそうだったかもしれない。クラスのなかで孤立する、というのは。けれどわたしは、あのころのわたしは、そんなにもまっすぐ、現実を感じとることができていただろうか。いつでもかき消していたようにおもう。た…

吉本ばなな『体は全部知っている』

この器が邪魔だ、とおもうことがある。きもちがどれだけ急いていても、身体はちっとも動いてくれない。頭痛、腹痛、しまいには発熱など、あらゆる手段を用いて、身体はわたしの活動を阻害する。気力で対抗しようとすると、今度は魂を器の外に押し出そうとし…

武者小路実篤『愛と死』

“無責任な他人のいうことを一々気にしていたら、人間は落ちついて生きてゆけない。自分をいつわって生きてゆくのには、世間や他人を信用していない。” 惹きこまれる。ただ、はなしを黙ってきいてあげたい。ここまで声高らかに宣言するに至るまで、彼はどれほ…

岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

淡々としている、という表現がいちばんしっくり来る。要点だけをおさえ、物語の展開を読者が理解できる程度に、説明がなされている。いかにもラノベっぽい表紙ではありながら、それにしてはあまりに平坦な文章なので、そのギャップに驚く読者もすくなくない…

川上弘美『センセイの鞄』

ていねいになでつけた白髪、折り目正しいワイシャツ、灰色のチョッキ。高校時代に国語をおそわったけれど、さして熱心に授業をきいたわけではない。「先生」でも、「せんせい」でもなく、センセイ。それは数ねんまえ、たまたま駅まえの飲み屋でとなりあわせ…

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』

ゆあーんゆよーんゆやゆよん。ぶらんこのようにゆらゆら揺れる、あっちの世界と、こっちの世界。きょうはふらり境界線に足をかけ、誘われるよう視線をおとした。いしいしんじ。ひらがなが、とても美しい。 なんとなく手に取り、本を開く。漢字ほどぎゅうぎゅ…

江國香織『落下する夕方』

わたしにはみえなかった。だって、あなたが身体をぐるぐると鎖で縛られ、何十キロもある足かせを引きずりながら歩いている姿なんて、想像もできなかったんだもの。 むしろ、いつでも自由にみえた。あなたは、働かない。外出だって、ほとんどしない。ふだんは…

吉本ばなな『TUGUMI』

72ページから突然はじまったものがたりに、わたしはびくり、目をさました。せっかくおひるすぎの電車に揺られうとうときもちよくなってきたのに、それまでぼんやりと追っていた字面が突如、はっきりと、文章となり、ことばとなって、わたしに迫ってきたから…