未題

800字のコラム

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』

 どこからかクラシックがきこえてくる。ページを捲る手がなにかの流れに乗っている。でもこれは音楽に、乗っているんじゃない。捲ってから、音がきこえてくるからだ。物語の曲線に誘われている。メロディーはそれにつづく。ページを捲る手が徐々に加速する。なにかに呑み込まれる、音楽もスピードを上げる、音がだんだん大きくなる、捲る、捲る、捲る捲る、物語、音楽、そしてわたし自身がピークに達する!
 この高揚感は、そう、体操だ。器械体操の試合そっくりだ。緊張で張り詰めた独特の空気。優勝へのプレッシャー。でもそんなの、問題じゃない。“要”は自分との対峙。おくのおくに意識を集中させ、ピンと、一本の糸を張る。とてつもなく広い、それでいて深いなにかと接続する瞬間。ーー気づくと、弾けるような歓声がきこえる。いつのまにかこちらの世界に戻っている。振りかえるとそこに、奇跡がある。
 紙のまえで、泣いたり、笑ったりする。どうしようもなく高鳴る胸を抑えきれず、歯がゆいおもいがする。同時にまだ、自分のなかにこれだけの躍動があることを知る。今すぐに、出したい。でも、そうか。わたしはとっくの昔にピアノを捨ててしまったのだった。そうだ、いまのわたしは感覚そのものをかたちにする手段を持ち合わせていない!
 弾む、弾む。それでもなにかは跳ねている。漫画を閉じてもくりかえし流れてくるクラシック。これはモーツァルト、2台のピアノのためのソナタ第1楽章。その脈動は紙を伝い、手を伝い、身体全身を駆けめぐり、やがて現実世界にも波紋を広げる。読んでいるのは文字ではない。みているのは画ではない。わたしたちは作者自身の、魂の在り方を丸ごと呑み込んでいるのだ。