未題

800字のコラム

村上春樹『風の歌を聴け』

 「君は君自身を太宰治と並べるなんてどうかしている。彼はたしかに偉大な小説を書き、この世に残した。しかし、君はどうだい。何ひとつ残してさえいないじゃないか!」

 幼いころは夢ばかりみていた。世界はいつでも眩いひかりに包まれていて、わたしは自由に空を飛ぶことができた。ところが、大学に入ると景色は一変した。それまでお目にかかることさえままならなかったさまざまな澱みのなかに、足を突っ込まなくてはならなくなった。次第にわたしのまわりから引いていったひかりは、雨降る夜の灯台みたいに、海の向こう側でただぼんやりと、その姿を曖昧に示すだけの存在となった。

 「しかし、それでもやはり何か書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。……8年間、僕はそうしたジレンマを抱きつづけた。――8年間。長い歳月だ」

 わたしは閉口した。彼の言ったことはほんとうだったからだ。たしかにわたしは、太宰治のようになにかすごいものを書き残したわけではない。しかし、ここまでの屈辱を味わったことなどここ21年間一度もなかったのだ。

 彼はうつむいたわたしをみて、得意げに鼻を鳴らしながらいった。
 「ならせめて、大口なんて叩くなよ。まだ黙っておいたほうがマシだ」

 ずいぶんと大げさな言いまわしにきこえるかもしれないけれど、彼はたしかにそういった。このときわたしははじめて、語ることの愚かさみたいなものを痛切にこころに焼きつけることになったのだ。
 いまでも、ジレンマはある。それはまるで、コンクリートにこびりついたガムみたいに、しつこくこころにはりついている。拭っても、拭っても、ちっとも取れやしない。

 それでも、だ。

 「今、僕は語ろうと思う。もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない」

 それでもわたしは(僕は)、こんなふうにもおもうのだ。恥をかいても、誤解されても、語りつづけることに必ず意味はあると。そしてあらゆる表現者が、何ねんか何十ねんか先の救済された自分の発見を信じ、きょうも書きつづけるだろう。