未題

800字のコラム

綿矢りさ『インストール』

 聖璽、という名はおぼえていた。本を買ったのはたしか中学一年生のころだったから、青春を存分に謳歌していた時期だ。そういう人間にとって、対照的なこの鬱屈とした世界はまるで、別次元のおはなしとして目に映る。だから当時、おもしろいという感想は、とくに抱かなかった。エロチャットの描写を読みかえすくらいで。
 それが十年経ったいまになってみると、こういう世界は案外、自分たちとは切り離せない位置にあることに気がつく。人妻、というある種の禁忌要素に共感すらおぼえるのだ。あの頃は到底受け容れられなかった不健全さが、いつのまにか健全になっている。という、非常に不健全なことがおこっている。わたしはおもわず唸った。

 そういえば当時の自分にとって、聖璽は救世主だったはずだ。たくさんのひとびととチャットで淡々と交わすセックスに感覚が麻痺したころ、突然日常を彷彿とさせる「人間」が現れる。こどもながら、これでようやく帰ることができる、と、ホッとした記憶がある。だからこそ、聖璽という名だけが今日まで、脳に強烈にインプットされるに至ったのだろう。
 しかし、いまは異なる感覚を抱く。数多のセックス星人は猿として置いておいても、聖璽を救世主と呼ぶには、あまりに幼稚だと気づいたのだ。3時間のチャットは彼の悪あがきでしかなく、朝子とかずよしが感化され日常にもどったのは、彼女らがまだ、こどもだったからだ。現に、綿谷りさは作家として、いまはこちら側にいる。
 かずよしがしきりに「病んでいるのかな」と自分のこころを気にするのも、彼自身がまだ自分の居所を把握できていないことに起因している。幼いから、仕方ないことのようにもおもう。朝子もそうだろう。だから「このまま小さくまとまった人生を送るのかもしれないと思うとどうにも苦しい」。一度堕ちたことのある人間にしか知りえない世界が、そこには、ある。