岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
淡々としている、という表現がいちばんしっくり来る。要点だけをおさえ、物語の展開を読者が理解できる程度に、説明がなされている。いかにもラノベっぽい表紙ではありながら、それにしてはあまりに平坦な文章なので、そのギャップに驚く読者もすくなくないかもしれない。
かといって、こころがない、というわけではない。主人公のみなみは女子高生らしく泣いたり笑ったりするし、ストーリーも随所に人間味が垣間みえる展開となっている。きっと、芯、みたいなものを、捉えているからだとおもう。
現に、みなみの親友である夕紀が亡くなる場面で、わたしはおもわず、なみだした。それも、いわゆる小説独特の口ぶりに感情の昂りが抑えられず泣いた、というわけではない。すーっと、気づけば目からなみだが零れおちた、という表現が正しい。
わたしは、それが岩崎さんらしいな、とおもう。彼はふだんから物事を論理的に話すきらいがあり、一見つっけんどんにみえる。けれど、冷たいわけではない。そう生きることしかできなかった人間の、むしろ精いっぱいのあたたかみを、わたしは感じずにいられないのだ。
曰く、彼はすべてそういうものとして、あえて語っているのだ、という。
あくまで「心にコツンと小石のぶつかるような感覚」を抱くことが、大切なのだ。裏をかえせば、これだけ多くのひとにもしドラが浸透した理由も、そこにあるのかもしれない。あまりに技巧のこらされた文章は、ある一定のレベルを超えると、読者を選んでしまうからだ。
――あれから、6年経った。いまだに立ち寄る本屋で彼の本をみかけるたび、あの日の出来事が鮮やかに思い出される。渋谷のスターバックスで、緊張しながら彼を待ったこと。世界三大料理のひとつは、トルコ料理だとおそわったこと。
点と点の交わることこそなかったけれど、わたしはたしかに、あのときの彼との会話を反芻しながら、生きることとはなにか、いまだに、よく、考えるのだ。