未題

800字のコラム

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

 “ある時期、ある年代のときは、毎日本当にまじめに走らなければいけない。……走り込むべき年代は人それぞれ違うけど、「今は走らなくちゃ」とはっきり決意するときがあるはず。そういうときは無理しても走らないといけない”

 年明けの決意は忘れていない。はじめは二日に一度、家を出るだけで精いっぱいだった。習慣づけるために肉体労働に従事し、生活の一部に動くことを浸透させた。
 三か月後、都内に引っ越した。今度はスポーツジムの仕事をはじめた。運動を本格的に習慣化するためだった。

 「あすから施設を利用してもいいですか?」

 面接時、目を真んまるにして驚いたマネージャーの顔が忘れられない。
 「もちろん。でも、あさってから働くというのに気の早い話だね。できれば、周囲のスタッフに顔を覚えてもらってからのほうがよいと思うよ」
 世間でいえば遠まわしに断られたことになるのかもしれない。しかし、わたしは引き下がらなかった。どんなことをしてでも、それまでの歩みをとめることは許されなかったのだ。

 「すみませんが、ぜひお願いしたいのです」

 翌日から、わたしは図々しくジムに通い詰めた。月に二十日は顔を出した。業務上かかわることはなくとも、大概のひとがわたしを認識した。そしてよく尋ねられた。

 「毎日毎日、どこを目指して走っているのですか?」

 おもわず、首をかしげた。なんとこたえればよいかわからなかったのだ。それでもわたしには、走らなければならないという漠然とした焦燥があった。なんとしてでも、身体を0から再構築しなければならなかった。自身と向き合い、日々を積み重ね、己の弱さと訣別する大切な儀式を遂行しなければならなかった。
 先日。ーーことん、と音がした。わたしはようやく、この荒療治が一旦のおわりを迎えたことを知った。思いのほか達成感はなかった。ただ遠くのほうで、つぎのはじまりを告げるピストルが鳴り響いた。