未題

800字のコラム

吉本ばなな『体は全部知っている』

 この器が邪魔だ、とおもうことがある。きもちがどれだけ急いていても、身体はちっとも動いてくれない。頭痛、腹痛、しまいには発熱など、あらゆる手段を用いて、身体はわたしの活動を阻害する。気力で対抗しようとすると、今度は魂を器の外に押し出そうとしてくるので、もしや、敵はこの身体自身ではないか、とおもうほどだ。
 身体は、つねに重要なシグナルを発している。このまま突っ走ると、後々たいへんなことになるぞ、と、暗におしえてくれている。理解は、できる。この器にとどまるというのは、そのくらい絶妙なバランスのうえ成り立っていることなのだ。だからわたしたち人間は、その危機から逃れようと、長らく文明を発展させてきた。

 現代の日本人は、そういう意味で平和ぼけしているのかもしれない。安全という枠組みがある程度ととのった状態で、この世に生まれてきたからだ。システムが発達している。それゆえ、構造まではみようとしない。そんななか、著者の吉本ばななはつねに、その構造自体をとらえようとしている稀有な人物ではないだろうか。
 わたしも過去に一度、自らのシグナルを無視し、そのうえさらにおいうちをかけることで、想像を絶する世界を垣間みたことがある。そのときのわたしは、たしかに、死を間近に感じていた。よっぽど強くこころをはりつけていないと、この魂は器を離れ、そのまま天に昇ってしまうのではないか、と、おもったほどだ。

 しかしさすがに、すこしおとなになったいま、器の状態を確認するということを、すこしずつおぼえてきたような気がする。たとえばそれは、丁寧に生活する、という、至極単純なことにあるのかもしれない。身体は、案外容易にわたしたちを手放す。そのことをよくこころにとどめたうえ、現実との歩調を合わせることが大切なのだ。